二つの鳥居を潜(くぐ)ると右手に小さな祠(ほこら)があります。御嶽神社(みたけじんじゃ)です。 御祭神は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」です。 日本武尊が東征の際、御岳山より西北に進もうとされたときに道に迷われましたが、忽然と白狼が現れ、西北に導いたと言われています。 尊は白狼に「大口真神(おおくちまがみ)として御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよ」とお仰せられたとのことです。 このことから、江戸時代の天保のころからは、大口真神は魔除け・盗難除(とうなんよ)けの神として広く知られ、親しみをこめて「お犬様(いぬさま)」とお呼びする様になりました。 当社の御嶽神社は、これらの事が混同されて「お犬様」と呼ばれています。 (白狼は「ニホンオオカミ」です。) ※ この記述は、武蔵御嶽神社【公式サイト】(ホームページ)の「おいぬ様」の記述を参考に致しました。 |
階段を上がると正面に建物が見えます。この建物は旧御社殿で、明治6年(1873)に建築された当時は写真のように茅葺(かやぶき)の建物でしたが、昭和51年(1976)に新しい御社殿が完成した時に神楽殿(かぐらでん)として改築され瓦葺きになり、平成11年(1999)に新しい神楽殿が完成するまで使われていました。
参道を進んでいくと御社殿です。この建物は昭和51年(1976)に用賀神社(ようがじんじゃ)から移築した建物です。本殿は神明造(しんめいづく)り、拝殿(はいでん)は入母屋造(いりもやづく)りです。
旧御社殿 |
御社殿 |
御社殿に向かって右手は神楽殿です。この建物は平成11年(1999)に新築されました。この神楽殿の正面には「老松(おいまつ)」の絵が描かれています。
この絵は神社の近隣にお住まいの神林旅人(かんばやしりょじん)画伯の奉納により描かれたアクリル画で背景の下部には環境の大切さを訴える意味を込めて、クリーム色の絵の具の下に化石をイメージした魚や虫などが描かれていますので探してみてください。
「老松」の絵 |
境内の右奥には「絵馬堂(えまどう)」があります。この絵馬堂には、明治時代からの絵馬が納められています。祈願する人々が描かれた「拝図(はいず)」が多く納められていますが、神社の名前が書かれた「扁額(へんがく)」には下部に鍵の掛かった酒樽(さかだる)が描かれていて遊び心が窺(うかが)われます。
境内を左奥に進むと「胞衣塚(えなづか)」があります。「胞衣(えな)」は後産(あとざん)とも呼ばれますが、明治の終わり頃まで強い子に育つようにと、出産後七日目に胞衣を布や紙などに包み壺などに入れて「胞衣納(えなおさめ)」をしました。この胞衣塚の下にはその胞衣壺(えなつぼ)が埋められています。 |